いよいよ亀戸香取神社の境内です。まず社務所を訪ね、香取邦彦宮司に神社を巡るあれこれをお聞きしました。
当社は七福神の大国天と恵比寿天が鎮座されておりますので、まず両天のことをお聞きすると、両天は平成15年(2003年)4月吉日、亀が井戸再興とともに祀られるようになったとのこと。「これだけ若々しい両天はめったにおられません。」というのが宮司さんの自慢の種。
元々当社には大国天と恵比寿天が鎮座されておりました。亀戸七福神は、明治時代に残りの5神を近隣に振り分けて始まり、途中中断を経て、昭和53年(1978年)に再開され、今歴史を築きつつあるとのことです。
お隣の亀が井戸は、「亀戸」の由来に関わっています。
そこには「若水や福も汲み上げ亀の井戸」と添え書きがあります。亀戸3丁目付近の臥龍梅園にあった「亀ヶ井」の井戸の井がとれて、亀戸の地名の由来になったとの由。となると、この亀が井戸、元々当社に有ったわけではなかったことになります。
立派な神楽殿が目に付いたので、「どんな行事に使われているのですか」とお聞きすると、「歌謡ショーなどに使っております。特別の年中行事があるわけではありません。」との意外なお話。
境内には亀戸大根の碑があります。
文久年間(1861年~1864年)に当社付近で栽培され始めた小振りの大根で、今では細々と江戸川区や葛飾区などで栽培されているだけです。近所に「升本」という料理屋があります。そこに行けば今でも亀戸大根を味わうことが出来ます。
境内には広重の道祖神祭図のセラミックス板も置かれています。
毎年1月14日、氏子の子どもたちが宝船を担ぎ亀戸から両国辺りまで練り歩いていた様子を描いたものだそうです。
境内には社宝の展示室も設けられており、誰でも珍しい宝物を見ることが出来ます。
こんにゃく神輿。
この神輿、屋根部分と胴体部分と台座部分が、それぞれ別の動きをするという大変珍しい神輿で、国内には他に九州に一台あるだけのものなのです。
土錘
この土錘は、明治40年(1907年)、近所の入神明宮で発見された中世初頭の漁網のおもりで、この地域が中世初頭頃は海岸線にあったことを示す貴重な資料になっています。
入神明宮については、既に第18回「殖髪聖徳太子像を求めて③」で触れておりますが、その跡地の説明板を再掲させていただきます。
見どころ満載の当社へ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。