普門院から北西に5分、江東天祖神社を訪ねます。当社は、応永2年(1395年)僧良傳が、龍眼寺とともに創建したと伝えられ、樋口一葉の「たけくらべ」にも登場する神社です。
拝殿・社殿は、関東大震災を経て、昭和4年(1929年)に日本最初の防災建築で竣工しました。内部は総槍造り、外部は鉄筋コンクリート造りで、東京大空襲でも焼失を免れた都内最古の防災社殿だと言われています。
七福神の福禄寿が鎮座しておられます。
江東天祖神社から、それこそ100メートルもないところに、最後の目的地天台宗慈雲山無量院龍眼寺があります。同寺は江東天祖神社の別当寺(神社を管理するお寺の意)でしたので、近いのも当然です。
別名萩寺とも言われ、境内の萩は江戸時代から有名でした。
私が出掛けたのは9月だったので、満開まで今一つでしたが、萩を味わうことが出来ました。
布袋様は、立派な布袋堂に鎮座しておられました。
私たちのイメージ通りの福々しい布袋様です。
小振りな本堂には、応永2年(1396年)に造られた区内最古の聖観世音菩薩像が鎮座しておられるとのことです。
当寺には、句碑。歌碑がいくつもあります。
まず、芭蕉の「濡れていく人もおかしや雨の萩」の句碑が目に付きます。
流麗な調べの歌を残した落合直文の「萩寺の/萩おもしろし/つゆの身の/
おくつきどころ/こことさだめぬ」の歌碑もあります。
江東天祖神社と龍眼寺については、既に第16~18回殖髪聖徳太子像を求めて①~③において触れております。そちらもご覧ください。