さて、肝心な恵比須様です。
恵比須様は、恵比寿・戎・蛭子とも言い、古くから漁業の神様でしたが、五穀豊穣と商売繁盛の神様として信仰されてきたようです。残念ながら拝顔はかないませんでした。
境内を裏手東側に出ると、横綱力士碑があります。
その裏側を覗いて見ると、少々古いところでは大鵬・柏戸、新しいところでは白鳳・日馬富士・鶴竜の名前まであります。まめに書き込まれていることに感心しました。
横綱力士碑の前には「超五十連勝の碑」があり、そこには双葉山定次六九連勝、千代の富士貢五三連勝と刻まれています。
実は、富岡八幡宮は江戸勧進相撲の発祥地で、しばしば境内で本場所も開催されました。明治維新で幕府や大名の加護を失った相撲界が、神道との関わりを強調することによって生き残りを図り、当宮との結びつきが一層強まったと言われています。日馬富士は、平成25年(2013年)6月6日、横綱力士碑の刻名式に参加して、自らの四股名を刻んだそうです。
ここから境内を南側に歩くと、木場木遣り記念碑があります。
富岡八幡の境内から東側へ10メートル程歩いたところに八幡橋があります。
明治11年(1878年)、京橋区(現中央区)楓川に架けられた東京市で一番古い橋で、当初弾正橋と呼ばれていました。関東大震災で廃橋となり、昭和4年(1929年)現在地に移設され、八幡橋に改称されました。
現在の八幡橋は、富岡八幡の東側に南北に数百メートル延びるプロムナードに架けられていて、地元の方々の憩いの場になっています。
このプロムナードには新田橋も陳列されています。
新田橋は、大横川に架けられていた橋です。大正時代に岐阜県から上京し、木場五丁目で医院を開業していた新田清三郎が、昭和七年不慮の事故で亡くなった妻の霊を慰める橋供養の意を込めてご近所の方々の協力を得て、架けた橋でした。
次は、このプロムナードから冬木弁天堂を目指します。