富岡八幡宮から北へ7~8分で冬木弁天堂に着きます。
「単立の古義真言宗宝珠山弁天堂」が正式名称です。何やらおどろおどろしいお名前ですが、本当に小さなお堂です。
承応3年(1654年)上野国(現在の群馬県)から江戸茅場町に出た上田直次が、冬木屋と称し、材木商として大成功をしました。その冬木屋が宝永2年(1705年)、弁天堂の敷地を含む一帯41,069平方メートルを購入して冬木町としました。その際、茅場町の邸内にあった弁天堂をここに移したのです。
ご本尊は弁財天です。
宝暦10年(1760年)、当時有名であった仏師津田丹治が江ノ島弁財天の像に摸して裸の弁財天の像を造り、冬木弁天堂に奉納したと言われています。
しかし、この像は関東大震災で焼失してしまいましたので、その後、同様の像を造り12年に1度の衣替えの儀式を続けているそうです。
冬木弁天堂から西へ10分程歩くと、浄土宗雙修山養源院心行寺に着きます。
元和2年(1616年)、八丁堀に創立。寛永10年(1633年)現在地に移転しました。開山は光蓮社団誉一露屋道。開基は、岩国城主吉川監物内室養源院殿。開基とは開山を財政的に支えた世俗の人の意。
岩国のお殿様の奥方がお金を出して作ったお寺、ということになります。
山門は、地味ながら落ち着いた佇まいです。
その先に、それ程大きくはないものの、洗練された本堂が聳えています。
昭和43年(1968年)、浅香富三氏が奈良平安朝様式に現代感覚を加味して設計し、落慶したとのこと。
境内左手に六角形の福禄寿堂があります。
その隣に石膏製の真っ白な福禄寿が、愛嬌のあるお姿で拝観者を迎えてくれます。
何の説明書きもないため推測ですが、福禄寿のレプリカと思われます。
「境内を一周してみよう」と辺りを見回すと、寺男とおぼしき男性が境内を掃き清めています。次回は、そのお方、長嶺征一さんに境内を案内して頂きます。