吾嬬神社近辺の北十間川護岸は、花壇を兼ねています。花の咲く頃にはさぞや美しくなるのではないかと期待してしまいます。
岸辺の遊歩道を歩いていくと初老の釣り人が一人、釣り糸を垂れていました。「ハゼを狙っているけど、3月は未だハゼは釣れない。」とのこと。「それではなぜ釣り糸を・・・」と畳み掛けると、世相を反映してか「仕事がなくてねえ~」「休んでばかりだとお金が掛かって。」とのぼやき。それにしても、釣れないと分かっているところで釣り糸を垂れ続けるお姿は、何やら哲学的でもあります。「大漁を祈ってます。」と別れを告げて、柳島妙見を目指しました。
法性寺、通称柳島妙見は、北十間川の南、横十間川の西の二つの川が交わる辺りに、明和元年(1492年)に建立されました。
もと江戸城の鬼門除けとしておかれたという妙見堂と直径2メートル50センチにも達する影向松と呼ばれる古木で有名で、桂昌院の帰依を受けるなどして賑わいを見せたと言われ、広重が何枚かの浮世絵を残しています。
北十間川と横十間川の分岐にこんもりとした森に囲まれた妙見様の賑わい振りが窺われます。今はない影向松も描かれています。
明治前期の夭折の浮世絵師井上安治の浮世絵も印象的です。
さて現在の妙見様です。コンクリート造の近代的なお寺に生まれ変わっています。
妙見様正面には葛飾北斎顕彰碑と関連絵画石碑が置かれています。
北斎は本所に生まれ育った地元っ子です。妙見様に願掛けをして21日間お参りし、満願の帰り道に落雷で失神。しかし、それからめきめきと売れ出したため、妙見様によって吉運を開いたと言われています。
右手奥に近松門左衛門の石碑があります。
近松は、京・大阪に暮らした人で、この妙見様と直接の関わりはありませんでした。尼崎市の広済寺は妙見様のお寺で、ここに近松の墓所があります。近松の没後103年目の文政11年(1828年)、近松のひ孫が妙見様繋がりで当寺に近松の石碑を建立したと言われていますが、現在の石碑は平成18年(2006年)に再建されました。
さて肝心なご本尊「開運北辰妙見大菩薩」です。私のような一般参観者にも気安くご開帳してくれているのですが、どこに鎮座されているのかよくわかりません。取り敢えず正面に向かって合掌して、妙見様を後にしました。
次回は北十間川を遡り、春慶寺を目指します。