柳島妙見から北十間川を遡ると、目の前にスカイツリーが聳えています。
押上駅(スカイツリー前駅)そばの京成橋からとうきょうスカイツリー駅(旧業平橋駅)そばの東武橋の間の北十間川北側にスカイツリーと東京ソラマチが広がっています。写真を撮ってみたのですが、近すぎて、大きすぎて全身が映りません。
足元の北十間川には、遊覧船の発着場があり、その西側の川面には、あれれ噴水が噴き出しています。
次の写真は、押上駅の昭和32年(1957年)の風景です。58年前のほぼ同じような場所を撮ったものです。
高度成長前の下町情緒が溢れています。
押上から春慶寺に寄り道します。北十間川の南側に並行して走る浅草通りへ出ると、間もなく春慶寺と記された鉄筋コンクリート造りのビル―春慶寺―に出合います。
この寺は、「春慶寺を出て、横川沿いの道を南へ行くと、川べりの草むらに、蛍が飛んでいるのが見えた。夏の夜である。町家の灯りも消えていず、まだ子どもたちの遊ぶ声がきこえた。荷車の上で、明神の次郎吉は泪ぐんでいた。(さむらいの中で、こんな人がいたのか・・・)左馬之助のひたむきな誠心に、次郎吉は胸を打たれている。」(鬼平犯科帳第8巻「明神の次郎吉」107~8ページ)と、盗賊のくせに他人の難儀を見過ごせない明神の次郎吉と鬼平の剣友岸井左馬之助との心温まる一シーンに登場します。
正面に岸井左馬之助の寄宿先との案内板はあるものの、賑やかな大通りに面した現在のお寺と鬼平の世界とを繋げるためには、相当の努力が求められます。
それは兎に角、400年前から「押上の普賢様」として人々に親しまれ、天明期(1781年~1789年)に活躍した勝川春潮の「押上村行楽」と題する浮世絵に、当時の賑わい振りが描かれています。浮世絵右側の道標に「押上村」「普賢菩薩」の文字に注目してください。
このお寺は、もう一つ「東海道四谷怪談」の作者四世鶴屋南北の菩提寺としても有名です。
このお寺だけではありません。春慶寺周辺は、鬼平の主要舞台の一つです。
「小梅代地町の通りをまっすぐに東に行き、横川にかかった業平橋をわたったとき、(おれの跡を、だれかがつけて来ている・・・)五郎蔵は、そう感じた。そこで橋をわたり、すばやく西尾隠岐守下屋敷わきの木立へ飛びこみ、提灯のあかりを吹き消し、業平橋のほうをうかがって見た。」(鬼平犯科帳4巻「敵」278ページ)
春慶寺から10メートル程西へ進むと、ビルの傍らに西尾屋敷跡の案内板があります。
また春慶寺の一角に、世界のホームラン王・王貞治のお父さんが営んでいた「中華料理五〇番」がありました。この近辺は王さんの揺籃の地だったのです。
次回はナメクジ長屋跡を目指します。