学問の神様菅原道真を祀る天神様。その中で亀戸天神、湯島天神、谷保天神は、関東三大天神と言われています。これから関東三大天神を巡ります。
まず地元亀戸天神を訪ねます。
本殿から北西を眺めるとスカイツリーが聳えています。
その由来は、正保年間(1644年~1647年)、菅原道真の末裔で太宰府天満宮の神官菅原大鳥居信祐が天神信仰を広めるため諸国を巡り、寛文元年(1661年)本所亀戸村に辿り着いて天神像を奉納したことに始まります。時あたかも本所は、明暦の大火からの復興開発事業の地となっていました。四代将軍家綱より、この地の鎮守神として現在地を寄進されて、造営されるに至ったのです。
社殿、楼門、回廊、心字池、太鼓橋などは、太宰府天満宮を倣ったとされています。
江戸名所図会をよく見ると、楼門が描かれていますが、回廊はありません。そ
の代りぐるりと藤棚が緑の回廊のように心字池を取り囲んでいます。初めから藤棚を回廊として造ってあったようにも思われますが、どうなのでしょうか。
亀戸天神といえば何と言っても太鼓橋。広重の名所江戸百景にも描かれています。
大鳥居を過ぎて最初に渡る橋が男橋。
本殿の手前にある橋が女橋。
池と橋を人の一生に見立て、男橋が過去を、女橋が希望の未来を表すとされています。
100年ほど前の写真をみると、当然のことながら木製の太鼓橋です。ずいぶん雰囲気が違って見えます。
私が訪れたのは、藤祭りの時期と晩夏。太鼓橋から見下ろす藤はもちろん素晴らしいのですが、藤がない時期でもなかなかの景観です。
藤祭りの時期、神楽殿では白拍子による舞踊が行われていました。
境内には寛文5年(1665年)太宰府天満宮の志賀社を勧請した弁天社もあります。
そういえば、亀戸七福神には東覚寺の弁財天が参加していて、亀戸天神の弁天社は、参加していません。些か不思議ですが、その知名度から七福神に参加する必要性がなかったためでしょうか。
さて当社では、四年に一度の大祭の八月、御鳳輦渡祭が催されています。平安期絵巻を再現した華やかな長い行列が氏子地域を巡行します。何故か当社の氏子は、亀戸地域ではなく墨田区の総武線以南の地域にありますので、下町の太陽法律事務所の目の前の京葉道路を練り歩くことになります。たまたま昨年の8月23日、休日に仕事に出ていて行列に出会い、デジカメに収めることができました。休日出勤のご褒美でしょうか。ちなみに、御鳳輦(ごほうれん)とは、屋形の上に金銅の鳳凰を飾った輿のことで、天皇や高層の乗り物とされています。
錦糸町で平安朝の装束に身を固めた行列に遭遇できるとは感激です。とくとご覧ください。