大正民家園からは、ひたすら西岸を歩いて上流を目指します。
西岸に墨田清掃工場の巨大な煙突が見えてきます。
「見学自由」とありましたので、クラシックの流れる散歩道を通って工場を見学しました。
1日600トンものゴミを焼却して発生した熱を利用して発電をし、工場で使用する以外は電力会社に売却しています。850度以上の高温で安定焼却させることでダイオキシン類の発生を抑制しているとのことですが、近隣住民の皆様に危険はないのでしょうね。
工場を出て、旧中川に戻ると「ゆりのき橋」があります。比較的新しい橋で、その下に艇庫があります。若い人たちがボートの練習をしています。流域の親水公園化に伴って水質が向上した結果なのでしょう。嬉しいことです。
ゆりのき橋を越えると、木下排水機場が見えてきます。ここで、ちょっと川岸の脇の小さな東墨田東公園に寄り道します。
公園の場所には、文政の頃(1818年~1829年頃)、6,000坪にも及ぶ墨東で一番広大な「木下川(きねがわ)梅園」がありました。木下川村の名主村越次郎兵衛の梅園でした。幕末、勝海舟の縁で徳川家の所有となり、実質は勝海舟の別荘として使われたとのことです。
残念ながら、1910年(明治43年)の大水被害、荒川放水路開削計画などで廃園となってしまいました。
かっては「入園者には太い鼻緒の草履をはかせ、二か所のあずまやでくわいの団子とお茶を出していた。」情緒溢れた場所であったそうですが、今は荒川土手近くの辺鄙な場所になってしまいました。
いよいよ木下川(きねがわ)橋排水機場に到着です。
この排水機場は、絶えず江東内部河川の水位を干潮時の最低水位より1メートル低下させ続けていますので、24時間稼働しています。
また、この排水機場は、内部河川の水位を低下させているだけではありません。水質悪化を防止する目的で荒川から浄化用水の取水もしているのです。
ここで、このブログを読んでいただいている読者に種明かしです。「ふれあい橋」の灯篭が上流に流れさせたのは、排水機場なのです。この排水機場から水を吸い上げれば旧中川は上流に向けての流れができ、水を加えれば下流へ向けての流れができるのです。
排水機場から荒川の土手に出ると、河川敷では子供たちがサッカーや野球に興じていました。
アザミの花が咲く土手を京成線八広駅方面へ歩きます。西側にスカイツリーが聳えています。
来る10月15日の墨田中小企業家同友会の下町探訪では、荒川土手を15分=20分歩いて京成八広駅付近まで歩き、元気印の会員企業㈱浜野製作所の工場を見学させていただく予定です。その後は、同社に社内を開放して貰って、一杯やる予定です。程よい疲れにアルコールが加わって、天国気分を味わえる筈です。