去る2月5日の日曜日、母校の都立両国高校の同窓会淡交会の新年会で、
「下町で弁護士として生きて」との演題でお話をさせていただきました。
 淡交会からお話を頂いた当初、「お話するほどのことはしてきていないから」と、一度はお断りしようと思いました。しかし、下町一筋で弁護士を続けてきた私だからこそ、下町の母校でお話をすることには意味があるかもしれないと考え直し、お引き受けすることにしました。

 私の持ち時間は50分。その中で、私が36年間下町の弁護士として携わった事件等を中心に取り上げようと思い、次の5つの話をさせていただきました。
①下町の弁護士として避けて通れなかったサラ金問題、②足掛け12年にわたって弁護団の一員として取り組んだ公害裁判の東京大気裁判、③高齢化社会が進行する中でその病理現象として目に付くようになった痴ほう症の親の介護疲れの中で引き起こされた親殺し事件、④長時間過密労働が蔓延している中で残業代不払いが常態化している世相を浮き彫りにした残業代不払い事件、⑤弁護士会の憲法問題対策センターでの憲法を守るための委員会活動

 ①のサラ金問題では、今はすっかりスマートな取り立てになったサラ金業者との怒鳴りあいの日々を紹介し、私の依頼者でNHKのドキュメンタリー「クレジットそのつけの来るとき」の主人公になったHさんのことなどを話しました。
 NHKに出演することによってサラ金苦で家出した妻を見つけたいというのがHさんの出演の動機でしたが、残念ながら奥さんは見つかりませんでした。

②の東京大気裁判では、当時相手方であった東京都の石原慎太郎知事が一部東京都敗訴の第一審判決を受けて、「控訴は致しません。国の対応を見ていると、心情的には私も原告団に加わりたいくらい。」とまで発言するなど想定外の事態が進む中で、新たな喘息等の公害病患者に対する医療費助成制度の創設をすることが出来たことなどをお話しさせていただきました。

 ③の親殺し事件は、両国高校の同級生の大学時代の同級生が殺人罪で起訴された17~8年前の事件でした。認知症で奇行を続ける母親の介護をしていた息子が30数か所の病院を訪ね歩いたが、認知症というだけでは入院を受け入れられず、絶望の果てに無理心中を図って引き起こした事件でした。
 この事件は、新聞テレビなどでも大々的に報道され、見ず知らずの方々から「他人ごとではない。寛大な処分を望む」との嘆願書が続々と届いた事件でした。死刑か無期懲役との刑法の尊属殺人の規定が削除された後の事件であったのがせめてもの救いでしたが、懲役5年の実刑となってしまいました。

 ④の残業代不払い事件は、余りにブラック企業振りが酷かったために、逆に速やかに解決してしまったという事件でした。
 労働基準法によれば労働者の法定労働時間は週40時間となっており、それ以上働かせるためには三六協定を結ばなければなりません。
 残念ながら、三六協定を結ばないまま残業させている会社は珍しくありませんが、そのような会社でも所定労働時間は週40時間と定められているのが普通です。しかし、この事件で相手方となった会社は何と所定労働時間を月曜から土曜まで午前8時から午後8時まで一日12時間と定めており、所定労働時間だけで週72時間になってしまうというとんでもない会社だったのです。余りにブラック企業であったため、残業時間の立証という労働者側の最大の難点をクリアーすることが出来てしまったのです。あちこちの法律事務所で受任を断られ気落ちしていた依頼者は、目算を遥かに超えた残業代を回収できて大喜びしてくれました。

 ⑤の弁護士会の憲法問題対策センターでの活動としては、安保法改定法案に反対する活動を行ったこと、高校・中学の教科書に出てくるような代表的な憲法判例を題材とした高校生や中学生を対象とした憲法出前講座の活動を行っていることなどをお話させていただきました。

最後に、「人情弁護士の下町探訪」と銘打って4年ほど前から、下町の名所旧跡を訪ね歩いていることについてお話しさせていただきました。
訪ねた白鬚神社で、宮司さんから紀元716年の高句麗の王族高麗若光の埼玉県日高市集団移住と白鬚神社建立との関係について貴重な話を伺った上、お神酒までいただいてしまった楽しい思い出や、戦国時代に青砥駅近くに古河公方の流れをくむ足利晴氏の居城葛西城が存在していてその城跡から女性の打ち首になった頭蓋骨など血なまぐさい戦国時代を彷彿とさせる遺物が発掘されていること等も触れさせていただきました。ホームページにリンクしておりますので、お手すきの折にでもご覧いただければ幸いです。