高杉道場から大横川親水公園に戻り、清平橋を渡って西へ少々歩くと、相模の彦十の家があります。今は小さな公園になっています。

「彦十は、このとき五十六歳。むかしから本所に巣食っていた香具師あがりの無宿者で、まだ銕三郎を名のっていた若き日の平蔵も、この彦十と共に、ずいぶんと悪さをしてのけたものなのである。それより二十余年を経たいま、火盗改メの長官となった平蔵の密偵としてはたらいているのも、『銕つあんの旦那え。長生きはしてえものだ。こんな、おもしれえことになるのでごぜえやすから、世の中もおつなもので』と、彦十。むやみにうれしがっているのであった。」「夜鷹殺し」(四)

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 彦十は、鬼平の放蕩三昧の青春時代の思い出を共有しているとの人物設定がなされている悪仲間で、江戸屋猫八の好演が記憶に残ります。

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親水公園をさらに南下して京葉道路の下をくぐり、公園内のテニスコートの脇を通り抜けると、「本所時之鐘」のレプリカがあります。

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「横川河岸・入江町の鐘楼の前が、昔の長谷川邸で、あたりの風景は、数年前の水害で水びたしになったと聞いたが少しもかわってはいない。」「出村の桜屋敷」(一)とあります。

かって入江町に鐘楼があり、古地図を見ると、その向かいが「長谷川」と記されています。池波正太郎は、この古地図をもとに平蔵が17歳から10年ほど住んでいた邸を設定したと言われています。現在、その邸の跡地にはコンビニが建っており、壁に「長谷川平蔵の旧邸」との高札が設けられています。

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ここから、大横川親水公園を離れます。しばし堅川沿い走る馬車道を隅田川方向へ歩いた堅川に架かる二の橋の袂に、軍鶏なべ屋「五鉄」がありました。

「その日の夕暮れに・・・。長谷川平蔵は、本所二つ目橋にある軍鶏なべ屋「五鉄」へ、密偵・相模無宿の彦十を、ひそかによびつけた。」「五鉄の小座敷に待っていた彦十へ、熱い酒を与えつつ、夜鷹殺しのうわさ、爺つあんも知っていような?」「知るも知らねえも・・・」と、彦十が盃をたたきつけるように置いて、「近ごろ、こんなに腹の立つこたあ、ごぜえやせんよ。ねえ、旦那。夜鷹も将軍さまも・・・」「白髪まじりのあたまを振りたてていいかけるのへ、平蔵すかさず、「同じ人間だからな。」「夜鷹殺し」(四)

鬼平が「夜鷹殺し」の究明に乗り出して、五鉄へ彦十を呼び出したシーンです。

馬車道通り沿いの二の橋のそばに、ついこの間まで軍鶏なべ屋「かど屋」があり、食通の鬼平ファンの舌を楽しませていました。現在その場所は、ビル建設中になっています。「建築計画のお知らせ」には、一切「かど屋」の名前は出てきませんので、竣工の暁に、またこの場所で軍鶏なべを楽しめるのか?ちょっと心配です。

五鉄のモデルとなった料理屋の候補には、その他に両国の「ぼうず志やも」、人形町の「玉ひで」があります。

「鬼平犯科帳」には、本所二つ目橋にある軍鶏なべ屋「五鉄」とあります。二つ目橋のそばに「五鉄」の高札が建っています。

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「かどや」が二の橋そばにあったこと、池波正太郎も足繁く通っていたことなどから、五鉄の最有力候補であることは間違いありません。

因みに、「かど屋」と「ぼうず志やも」が味噌味で、「玉ひで」がしょうゆ味です。是が非でも「五鉄」をはっきりさせたい、とのこだわり派の方には、ご自分の舌で味わって、決めて頂くしかありません。

馬車道をさらに西へ、二の橋の架かる清澄通りを越えて少々行ったところに、「煙草屋・壺屋」の看板があります。その場所は、今では繊維関係の商社のビルになっています。

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「煙草屋・壺屋」は、綿引勝彦演じる大滝の五郎蔵と梶芽衣子演じるおまさ夫婦が煙草屋を営みながら、密偵の仕事をしていたお店です。

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大盗蓑火の喜之助の下で修業した盗賊大滝の五郎蔵は、「お前の、以前の渡世としては、むりはなかったろうが・・・お前は亀吉の子の与吉を、おのが手にかけてしまった」「はい、はい・・・」「なんとおもっているか?」「ただもう、悔やむばかりで・・・この上は、一日も早く、お仕置きをおねがい申し上げますでござります」「よし」「いまから死んだつもりになれ」「へ・・・?」「与吉への供養とおもい、生まれかわって、世のため、人のためにはたらけ」「え・・・?」「おれの手つだいをしろ」「では、密偵(いぬ)に・・・?」「敵」(四)といった顛末で、鬼平に命を救われて密偵となります。

そして、五郎蔵は、鬼平の命に従って盗人の松五郎お里を見張るため一軒借りて、おまさと一緒に住み着くようになりました。そのうち、「ふと、目めたおまさは傍らにねむっている五郎蔵の、ひげあとの濃い横顔を思わず見まもり、ふかいためいきを吐いた。昨夜までは、おまさも五郎蔵も(こんなことになろうとは・・・)思っていなかった。」「鯉肝のお里」(九)といった次第で、二人は、夫婦になりました。めでたし。めでたし。

壺屋は、「煙草屋といっても、ふさ楊枝やら〔ふところ紙〕や歯みがきなどの小間物も売っているという、ごく小さな店であった。煙草は、上野の広小路から西へ切れこんだ湯島横町の煙草問屋〔内田屋太右衛門〕方から仕入れる。」「犬神の権三」(十)とあるような小商いのお店でした。

夫婦になった五郎蔵とおまさは、「煙草屋・壺屋」で、義理の親子の縁を結んだ舟形の宗平の三人で暮らすようになりました。

                                                   つづく