地下鉄大江戸線大江戸線清澄白河駅から徒歩3分、殺風景な街中にこんもりとした林に囲まれた清澄庭園があります。
元禄期の豪商紀伊国屋文左衛門の屋敷跡地と伝えられ、下総関宿藩主久世氏の下屋敷を経て、1878年(明治11年)岩崎弥太郎により三菱社員の慰安と賓客接待を目的に買い取られました。岩崎弥太郎は、1880年(明治13年)、当時荒廃していた邸宅地に庭園を造成し、深川親睦園と命名しました。これが清澄庭園の始まりだと言われています。
1891年(明治24年)に隅田川の水を引き込むようにして、回遊式築山林泉庭園としての完成を見ました。1923年(大正12年)の関東大震災で大被害を受け、邸宅も失われてしまいましたが、近隣住民の避難場所となって多くの人命を救いました。
園内に入ると、中島を持った大きな池が目の前いっぱいに広がってきます。
中島には桂離宮を思わせる優美な涼亭が佇んでいます。涼亭での酒宴は乙なもの。一定の人数が揃えば可能です。一度味わってみるのもいいものです。
池の周りには、端を歩けるように石を配置した「磯渡り」があります。
また、そこかしこに、岩崎家が全国から集めた名石が散りばめられています。
南側には富士山を模した築山が聳えています。かってはここから富士山が眺められたのかもしれませんが、高層ビルが立ち並ぶ現在では、それは到底無理な注文のようです。
始めに清澄庭園を訪れたのは桜の季節。大きな桜の木の下では、新郎新婦が新たな門出の記念撮影をしていました。一生の思い出に相応しい写真が撮れていることでしょう。おめでとうございます。
そのそばに芭蕉の有名な句碑がありました。
再度訪れたのは6月下旬の菖蒲と紫陽花の季節。些か盛りを過ぎていて何れも余り元気がありませんでしたが、菖蒲も紫陽花も梅雨のじめじめした雰囲気とピッタリ合っていることを知りました。遅ればせながら、私なりのささやかな発見でした。