JR両国駅から北へ徒歩5分程のところに旧安田庭園があります。
元禄年間に丹後宮津藩主本庄宗資により大名庭園として築造されました。
本庄氏は、5代将軍綱吉の生母桂昌院の実家で、権勢におもねる者が本庄家を訪れることを「本庄に行く」という言葉となって流行し、本庄が本所の地名のもとになったといった話がまことしやかに流布された程、権勢を誇ったと言われています。
さて、この庭園は、安政年間に清澄庭園と同様に隅田川の水を引き込んだ潮入回遊式として整備されました。1889年(明治22年)、安田財閥の祖安田善次郎の所有となり、1922年(大正11年)同氏の遺志により東京市に寄贈されました。
しかし、残念ながら隅田川の汚染が園に及ぶようになって、現在は直接の接続は停止されています。
園内には大きな池が広がり、その北側には丸いドーム「両国公会堂」が建っています。
園内に駒止石と名付けられた石が置かれています。1631年(寛永8年)家光の時代、秋の台風で隅田川が氾濫し、隅田川の東側は甚大な被害を蒙りました。家光が本所地域の被害状況を調査させようとしました。皆が尻込みをしている中で、旗本阿部豊後守忠秋が危険を顧みず、馬にまたがって柳橋付近から隅田川の濁流に乗り入れました。つぶさに被害状況を視察して家光に報告しましたが、視察の際、駒止石で馬を休ませたと言われています。
安田庭園周辺は、東京都慰霊堂、両国国技館、江戸東京博物館と広大な施設が多くあるためでしょうか、比較的高層ビル化が進んでいない地域ということが出来ます。そのお蔭で比較的古い建築物が残っています。
今時めったに見ることのできない、戦前に建てられたと思われる建物も残っています。
南側の門のそばに「下総屋食堂」があります。東京都指定民生食堂と書かれた昔懐かしい定食屋さんです。私の事務所で研修中の司法修習生の山本君と一緒に、昭和30年代の「さんまの塩焼き定食」と「豚汁」を堪能しました。