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人情弁護士の下町探訪

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下町の名所旧跡を訪ねて「第38回下町の名園を訪ねて②」

JR両国駅から北へ徒歩5分程のところに旧安田庭園があります。 元禄年間に丹後宮津藩主本庄宗資により大名庭園として築造されました。 本庄氏は、5代将軍綱吉の生母桂昌院の実家で、権勢におもねる者が本庄家を訪れることを「本庄に …

下町の名所旧跡を訪ねて第37回(下町の名園を訪ねて①)

地下鉄大江戸線大江戸線清澄白河駅から徒歩3分、殺風景な街中にこんもりとした林に囲まれた清澄庭園があります。 元禄期の豪商紀伊国屋文左衛門の屋敷跡地と伝えられ、下総関宿藩主久世氏の下屋敷を経て、1878年(明治11年)岩崎 …

下町の名所旧跡を訪ねて第36回「戦争震災被害者鎮魂の場③」

東京都慰霊堂は都立横網町公園内に設置されています。この公園内には石碑・銅像・鐘楼等様々の慰霊・追悼施設が設けられています。 その殆どは大震災関連のものです。 公園南側に設置されているのが、震災遭難児童5,000人を慰霊す …

下町の名所旧跡を訪ねて第35回「戦争震災被害者鎮魂の場②」

 江戸東京博物館の北側に東京都慰霊堂があります。  1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が起こり、元陸軍被覆廠に逃げ込んだ老若男女約38,000人が火災の竜巻に巻き上げられて窒息・焼死しました。ここで亡くなった方 …

下町の名所旧跡を訪ねて第34回「戦争・震災被害者鎮魂の場(1)」

  芥川龍之介(1892~1927年)は、生後9か月で生母の実家本所小泉町(現両国3丁目)の芥川家に引き取られ、旧制一高に入学した1910年(明治43年)一家を挙げて内藤新宿に移るまで、そこで生活しました。その場所には標 …

下町の名所旧跡を訪ねて第33回「立石様(4)」

熊野神社の南へ徒歩数分の中川縁に南蔵院があります。真言宗豊山派の寺院で五方山立石寺と号します。五角の地に熊野神社を勧請して五方山と名付けたとの謂れからも分かる通り、熊野神社の別当寺(神仏習合が普通であった江戸時代以前、神 …

下町の名所旧跡を訪ねて第32回「立石様(3)」

安倍晴明と言えば陰陽博士として有名です。陰陽五行説に基づき五芒星図形(星形正五角形の一種)を魔除けの呪符として用いており、その紋は晴明紋と言われています。 実は熊野神社の敷地も、五芒星図形をしているのです。と言っても、そ …

下町の名所旧跡を訪ねて第31回「立石様(2)」

立石祠から300メートル位北側に行ったところに熊野神社があります。安倍仲麻呂の曾孫の安倍晴明が紀州熊野三社 (熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を勧請した由緒ある神社であり、その由来書によれば、長保年間(999~ …

下町の名所旧跡を訪ねて第30回「立石様(1)」

このシリーズで初めて葛飾区に足を踏み入れました。訪れたのは「立石様」です。京成の立石駅から徒歩7~8分程の ところにその方は鎮座されております。 江戸名所図会では、立石様は「立石村五方山南蔵院といへる真言宗の寺境にあり。 …

下町の名所旧跡を訪ねて第29回「隅田川七福神めぐり(8)」

弘福寺を南へ徒歩2~3分で最後の三囲神社に着きます。同神社が文和年間(1353~1356年)近江三井寺の僧 源慶による再興が実質的な創建とされていること、及び、その名の由来は、本ブログ第14回で述べた通りです。 社殿は、 …

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