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人情弁護士の下町探訪

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下町探訪第108回 葛飾北斎ゆかりの地を訪ねて②

榛稲荷神社から南西方向へ10分位歩くと、回向院に到着します。 <回向院> 北斎は、この寺で大布袋の描画をしたと言われています。残念ながらその描画は残っていません。 1817年名古屋の大須で120畳の大達磨の描画をした際の …

下町探訪第107回 葛飾北斎ゆかりの地を訪ねて①

葛飾北斎は、1760年(宝暦10年)9月23日に、本所割下水で生まれました。 当時、本所には南と北の二つの割り下水がありましたが、単に割下水というと南割下水を指しました。 川幅は1~2間(1.8~3.6メートル)程度、汚 …

下町探訪第106回 濹東綺譚ゆかりの地を歩く③

今回は、戦後に発展した玉ノ井を訪ねます。旧玉ノ井は、1945年3月10日の東京大空襲で全焼し、壊滅状態になりました。 しかし、逞しいというべきか、その直後から、いろは通りの北側、現在の墨田三~四丁目あたりの非罹災地では、 …

下町探訪第105回 濹東綺譚ゆかりの地を歩く②

旧玉ノ井の私娼街の通路は、道が迷路のように入り組んでおり、路地の出入り口に「ぬけられます」の表示があるので足を向けると、狐につままれたように同じ場所をぐるぐる回らされる結果になるなどと言われていました。荷風は、この一角を …

人情弁護士の下町探訪第104回 濹東綺譚ゆかりの地を歩く①

 1958年(昭和33年)4月1日に施行された売春防止法によって幕を引かれるまで、玉ノ井は下町の私娼街として庶民が哀歓を共にした場所でした。  以来、60年近い歳月が流れています。今更、当時の雰囲気に迫ることができるか分 …

人情弁護士の下町探訪(第103回両国界隈赤穂浪士ゆかりの地巡り④)

赤穂浪士ゆかりの地を巡ってきましたが、果たして浪士たちは義士と言えるのでしょうか?当時の学者(儒者)の意見は、義士肯定論と否定論の真っ二つに分かれていました。山崎闇斎門下の佐藤直方、荻生徂徠らが、義士否定論を、室鳩巣や山 …

人情弁護士の下町探訪(第102回両国界隈赤穂浪士ゆかりの地巡り③)

 今回は、その他のゆかりの地を訪ねます。 <大高源吾句碑>  大高源吾は、内蔵助に最も信頼された人物で、当時の俳諧の第一人者宝井其角とも親交がありました。和歌や国文の素養もあり、茶道にも堪能でした。茶人山田宗偏の門に入り …

人情弁護士の下町探訪(第101回両国界隈赤穂浪士ゆかりの地巡り②)

 四十七士側は、討ち入りを成功させるため、吉良屋敷周辺に何か所かに分かれて暮らし、討ち入りの機会を窺っていました。 今回は、そんな四十七士の仮住まいだった場所を訪ねます。 <前原伊助の仮住まい> 前原は、「米屋五兵衛」と …

人情弁護士の下町探訪(第100回両国界隈赤穂浪士ゆかりの地巡り①)

天皇の勅使接待の最終日である元禄14年(1701年)3月14日のことでした。勅使饗応役であった赤穂藩主浅野内匠頭長矩が、江戸城中松の廊下で高家の吉良上野介を斬り付け、将軍綱吉の逆鱗に触れ、即日切腹を命じられました。赤穂四 …

人情弁護士の下町探訪第99回旧中川遡行

 大正民家園からは、ひたすら西岸を歩いて上流を目指します。  西岸に墨田清掃工場の巨大な煙突が見えてきます。       「見学自由」とありましたので、クラシックの流れる散歩道を通って工場を見学しました。       1 …

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