下町散歩
下町探訪第148回関東大震災の爪痕を訪ねて(その9)
2024年9月18日 下町散歩
大正年間と言えば、大正デモクラシーと言われた時代で、1918(大正7)年7月には、近代史上もっとも大規模な社会運動と言われた富山県魚津の漁師の妻たちの行動が発端となった50日間に70万人以上が参加したと言わ …
下町探訪第147回関東大震災の爪跡を訪ねて(その8)
2024年8月30日 下町散歩
亀戸事件から10日ほど過ぎた9月16日、無政府主義者の大杉栄とその内妻で作家の伊藤野枝そして大杉栄の甥で6歳の橘宗一が、自宅付近に張り込み中の憲兵隊に連行され、淀橋警察署から麹町憲兵司令部に連れていかれた後に消息を絶ち …
下町探訪第146回関東大震災の爪痕を訪ねて(その7)
2024年8月6日 下町散歩
これまで亀戸警察署は、朝鮮人虐殺の現場になっていたと述べてきましたが、同警察署は何の罪もない労働組合活動家労働者10名を虐殺した亀戸事件の現場にもなっていたのです。この虐殺を引き起こしたのも、軍 …
下町探訪第145回関東大震災の爪痕を訪ねて(その6)
2024年7月15日 下町散歩
大震災当時の新聞には、「不逞鮮人」「朝鮮人パルチザン」といった言葉が溢れていました。ロシア革命後の内戦に日本が関与していた時期に起きた1920(大正9)年春の尼港(二コラエフスク)事件において、シベリア出兵 …
下町探訪第144回関東大震災の爪跡を訪ねて(その5)
2024年6月26日 下町散歩
ここで旧四つ木橋の虐殺現場から離れます。京成八広駅から京成曳舟駅へ、そこから東武曳舟駅まで歩き、同駅から東武電車に乗り換えてJR亀戸駅に向かいます。当時、今のJR亀戸駅北口の三井住友銀行亀戸支店辺りに亀戸警察署がありま …
下町探訪第143回関東大震災の爪痕を訪ねて(その4)
2024年6月4日 下町散歩
喜劇役者として一世を風靡した「伴淳」は、震災当時15歳。蔵前で住み込みで働いていて震災に遭遇し、9月1の夕方ようやく旧四つ木橋の袂のずいき畑まで避難し、朝鮮人虐殺の現場を目撃しました。その自伝「 …
下町探訪第142回関東大震災の爪跡を訪ねて(その3)
2024年5月28日 下町散歩
戒厳令の宣言を受けて、内務省警保局長は、9月3日午前8時15分、海軍無線電信船橋送信所から各地方長官宛、「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において爆弾を所持し、石油を …
下町探訪第141回関東大震災の爪痕を訪ねて(その2)
2024年4月29日 下町散歩
被服廠跡は、現在その一部が横網公園となっており、その一角に東京都震災記念堂と東京都復興記念館が建っています。震災記念堂には関東大震災の被災者と東京大空襲の被害者の身元不明の遺骨が保管されています。 復興記念館には、関東大 …
下町探訪第140回関東大震災の爪痕を訪ねて(その1)
2024年4月20日 下町散歩
1923(大正12)年9月1日午前11時58分、相模湾の南西部深さ1300メートルの海底が長さ24キロ、幅2~5.5キロの広大な部分にわたって100メートル以上陥没しました。関東大震災の発生です。激震地は東京、神奈川、 …
永井荷風ゆかりの地を訪ねて③
2024年2月13日 下町散歩
玉ノ井から15分ほど歩いて秋の花々が咲き乱れる向島百花園を訪れたのは、9月下旬。 百花園は、1804(文化4)年、骨董屋として財を成した佐原鞠塢(きくう)によって造園されました。かねて付き合いのあった文人達から寄贈さ …