亀戸香取神社から西へ数分、次は毘沙門天の普門院を訪ねます。真言宗智山派の寺院で、福聚山善應寺と号します。

1552年、橋場に創建され、元和2年(1616年)に当地に移転しました。その移転に際して梵鐘を川に落としてしまったので、その地を鐘ヶ淵と呼ぶようになったとの伝承があります。

さてお寺に近づくと築地塀のような塀が見えてきます。よく見るとコンクリート製のようなので、そう古いものではないのかもしれませんが、歴史ある寺を訪ねる雰囲気を醸し出してくれます。

     普門院駐車場塀

山門から境内を見ると、鬱蒼とした森が広がっているように見えます。

     普門院山門

山門を潜ると中門があります。

     普門院中門

その脇に「伊藤左千夫の墓」との標識があります。

     普門院伊藤標識

境内に入ると、七福神のお一人毘沙門天が鎮座される毘沙門堂があります。小さなお堂ですが、中々風情があります。残念ながら毘沙門天を拝むことはできませんでした。

     普門院境内    普門院毘沙門堂

 正面の本堂は些か手入れが行き届いていないようにお見受けしました。

     普門院本堂

その北側の寺務所に至っては、荒れるに任せているご様子。

     普門院寺務所    普門院社務所②

亀戸駅から精々10数分、建物の建て込んでいる地域に忽然と現れた森と荒れ屋。このようなお寺さんは、下町探訪を始めて以来見たことがありません。

伊藤左千夫の墓を求めて墓域に足を踏み入れました。小振りの山門からは想像のできない広い墓域が広がります。

その一角に伊藤左千夫のシンプルな墓があります。

     普門院伊藤左千夫の墓  

次に幕末の第9代名横綱秀の山雷五郎の墓を訪ねようと思ったのですが、何の標識もないので簡単に探せません。迷っていると寺男なのでしょうか、墓掃除をしている方がいらっしゃいました。秀の山のお墓を訪ねると、無口な方のようでしたが、それでも「あっちへまっ直ぐ行って、突き当たりを右に」と教えて下さいました。

分かったような、分からないような気分のまま、取り敢えずあっちへ向かいました。それでも何とか秀の山のお墓に辿りつくことが出来ました。

     普門院秀の山の墓     

お墓からの帰り道、大きな石碑があるので見てみると、昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲の被害者の慰霊碑でした。

     普門院戦災碑

この地域が東京大空襲で大きな被害を受けた地域の一つであったことを、改めて思い起こされました。

それにしても、この破れ寺風の佇まい。他方で、寺男?が墓の掃除をし、境内もそれなりに手を入れている風情。できるだけ人手を加えず、ありのままの自然を生かしたいというお寺のポリシーの現れなのかもしれません。こんなお寺で、暫しのんびりとした時間を過ごすのも乙なものではないでしょうか。

そういえば、お寺の隣に同業者の法律事務所が開設されていました。交通の便を考えたら、法律事務所の立地場所としては些か不便ににも思えたのですが、お寺の雰囲気に魅かれてこの地に開設したのだとしたら、納得です。

満ちたりた気分で、次回は福禄寿と布袋様を訪ねます。