皆様、明けましておめでとうございます。今年も百回を目標に頑張りたいと思います。宜しくお願いいたします。さて、新春第一弾は、深川七福神巡りとさせていただきます。
まず、有名な富岡八幡宮の恵比須様から巡っていきます。富岡八幡宮は、建久年間(1190~1199年)に源頼朝が勧請した横浜市の富岡八幡の直系分社として、寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた小島に創建されました。隅田川両岸(深川及び中央区新川地区)の氏子を始め、広く世の崇敬を集めた江戸最大の八幡様で、現在も多くの参拝客を集めています。
東西線門前仲町駅を降りると、賑やかな門前町が広がりますが、これは深川不動堂のそれです。
その門前町の一角に、ぼんやりしていると見過ごしてしまうような小さなお寺があります。永代寺です。
五代将軍綱吉の生母桂昌院が成田山新勝寺の参拝を願ったため、元禄16年(1703年)、永代寺で新勝寺の本尊不動明王像の出開帳を行ったとされています。永代寺、元々は富岡八幡の別当寺で、現在の深川公園を含む6万坪余の寺領を有する大寺院で、その賑わい振りは江戸名所百景からもうかがえます。
つまり門前仲町の門前は、永代寺の門前を意味しているのです。それなのに明治元年の廃仏毀釈の嵐の中で、永代寺は廃寺とされてしまいました。明治29年になって、塔頭の一つであった吉祥院が永代寺と改称して法灯を継承し、細々と現在に至っているのです。
その代わり、明治11年(1878年)、成田不動の分霊を祀る深川不動堂が建立され、今も大変な賑わい振りです。永代寺にとっては、「庇を貸して母屋を取られた」ということになります。
肝心な富岡八幡の門前町は、この門前町の東側2~30メートルのところに、深川不動の門前町と並行して広がっています。
大鳥居を潜ると、左側に比較的新しい伊能忠敬の銅像が置かれています。伊能忠敬は、深川界隈に居住し、測量に出かける際は、必ず安全祈願のために富岡八幡を参拝していたそうです。
伊能忠敬の銅像の少し先に、日本一の大神輿がガラス張りの展示庫に置かれています。余りに大き過ぎて、平成3年(2008年)に初渡御が行われて以後展示庫に鎮座されたままで、専ら展示品として現在に至っているとのことです。残念な話ですね。
私の写真技術の未熟さのため、その巨体の全貌は分かりにくいことを、ご容赦下さい。
さて正面に、立派な拝殿がどっしりとした姿を見せています。
その西側に恵比須様のいらっしゃる恵比須宮があります。残念ながら恵比須宮の紹介は、次回とさせていただきます。