「ナメクジ長屋」から浅草通りへ戻り、業平一丁目の交差点の西側が業平橋です。その下を流れていた大横川は、大横川親水公園に変わっていますので、現在は陸橋ということになります。

   業平橋①    業平橋②

  志ん生の生きた時代の業平橋との違いを見比べて下さい。

   業平橋明治40年

 実は私も今回の北十間川遡行で初めて知ったのですが、北十間川は明治18年(1885年)までは隅田川と繋がっていませんでした。隅田川から業平橋までは寛文3年(1663年)に木材輸送のために開削され、源森川と言われおり、大横川とだけ繋がっていたのです。

 北十間川と繋がって以降、源森川は、東武業平駅の鉄道貨物と連携して隅田川と旧中川を繋ぐ下町の物流に重要な役割を果たしました。

しかし、昭和53年(1978年)、両川の接合部には北十間川樋門が立ちはだかるようになり、その東西での船舶の航行は不可能になってしまいました。

   桶門

下町地域の地盤沈下や物流における舟運の衰退がその原因のようですが、近時スカイツリーによって押上・業平地域が賑わうようになり、北十間川の位置付けが違ってきました。隅田川を舟運で結んで観光船を通すため、この樋門を閘門(ロックゲート)に付け替えて欲しいとの声も出てきているようです。

 因みに樋門とは、排水や水位差の調節のために門の中に水路が埋め込まれている門をいい、閘門とは、水位の異なる河川の間で船を上下させる装置を有する門をいい、パナマ運河等を思い浮かべて頂ければご理解いただけると思います。いずれにせよ、隅田川の水位よりも北十間川の水位の方が低いことからこのような門が必要となるのです。

 北十間川に架かる源森橋を渡ったすぐ北側に、隅田公園があります。

 この公園は、旧水戸徳川家下屋敷内の池や遺構を利用した約8万㎡の公園で、桜の名所として有名です。丁度私が訪ねた3月29日は桜が満開でした。

    隅田公園桜②   隅田公園桜④   

その前に訪ねた2月28日には、梅の花が咲いていました。 

    隅田公園梅   隅田公園梅②

公園の東側に堀辰雄住居跡があります。明治37年(1904年)生まれの辰雄が、大正13年(1924年)から結婚して軽井沢に転居した昭和13年(1938年)まで生活をしていた場所とのことです。

    堀辰雄①   堀辰雄③

浅草へ向かって吾妻橋に向かうと、隅田川には花見船が見えてきます。

橋の中程で、墨堤(墨田区側岸辺)と大川端(台東区側)を見比べると墨堤の方が花の密度が高いような気がしたのですが、写真で見る限り大川端の方が密度が高いようですね。どちらにしても、隅田川は一年で一番華やかな季節を迎えています。

    言問橋から南望   言問橋南望②

 吾妻橋の袂の桜の木の下で、東京大衆歌謡楽団が昭和の歌謡曲を演奏していました。暫し、歌手の昭和歌謡の熱唱に耳を傾け、下町の春を堪能させてもらいました。

    大川端大衆歌謡楽団