真間山弘法寺から里見公園一帯の丘陵は、東京医科歯科大、千葉商科大、和洋女子大や国府台高校等の教育機関が集まる緑溢れる文教地域になっています。
弘法寺から松戸街道を10分程北へ歩いて西へ曲がり、桜並木を数分歩くと里見公園に着きます。
太田道灌が15世紀にこの地に仮陣を置き、弟の太田資忠らが国府台城を築いたとされています。この地は、その後、里見氏と後北条氏との間で2度にわたって国府台合戦が行われた古戦場にもなりました。歌川広重は、名所江戸百景「鴻の台利根川風景」で、この地を描いています。
これほど誇張がされていれば、いやが上でも興味をそそられます。
行った時期が4月中旬だったため、桜の花も盛りを過ぎていましたが、よく整備された綺麗な公園でした。
公園の一角に紫咽草舎があります。北原白秋が大正5年から1年程住んでいた小岩の建物が、復元されたものです。小岩に住む前、真間に住んでいた縁で移築されたそうです。
里見公園の丘の上から西側を望むと、雑木林と江戸川越しに遠くスカイツリーも見えます。
里見公園を下ったところに羅漢の井があります。
弘法大師が発見し、里見氏が国府台城に布陣していた際に飲料水に利用したとされ、江戸名所図会にも描かれました。
1年中絶えることなく湧水が湧き出ているが、現在は飲料水にはならないとのこと。残念ながら歴史的な名水を口にすることは、できませんでした。
さて、ここから江戸川の堤防の上の道を上流へ向かいます。
里見公園下の江戸川河川敷は、地域に住む様々な生物が地域固有の自然生態系を構築しているところ、いわゆるビオトーブと言われており、鶯や鷹など年間を通して80種類以上の野鳥が観察されると言います。
ここから振り返る国府台の丘の眺めもなかなかのものです。次回は、野菊の墓へ向かいます。