里見公園から千葉県側の江戸川土手に出ると、矢切りの渡しまで3キロ程歩くことになります。江戸川の東京側の河川敷は、野球場やサッカー場だらけになっていますが、矢切側の河川敷は、手つかずに残されているのが魅力で、緑が溢れています。
土手から矢切の渡しへ向かう前に、田舎道を辿りながら野菊の墓記念碑へ寄り道することにします。「野菊の小道」と書かれた可愛い道標を頼りに、矢切葱の畑を眺めながら、東側に田舎道をくねくねと曲がりながら20分程歩きます。
途中、葱の苗を植え付けていた農家のご主人と立ち話をする機会を得、「矢切葱は鍋向きの太くて厚い白身が売り。」「白身が多い葱を作るためには手入れが大切。」「都市化の波に揉まれながらも、矢切では80軒近い葱農家が頑張っている。」といった地元の農家ではのお話しを聞かせて頂いた。矢切葱は高級品なので、簡単に口には入りませんが、食する幸運に恵まれたときは、十分味わって食べなければいけません。
坂を登り切った丘にある西蓮寺の境内に、土屋文明識と書かれた野菊の墓文学碑があります。
この地は、戦国時代の北条氏と里見氏の激戦地でもありました。兵どもが夢の跡が文学碑の地に様変わりしていることになります。
この丘から江戸川を望む景色も趣があります。
憩いのひと時を過ごして、矢切の渡しに戻ります。
矢切の地名について、北条氏と里見氏との第2次国府台合戦で、里見氏側が矢が切れて負けたことから「矢切れ」→「矢切り」→「矢ぎれ」となったとの説があるように、この地域は戦国時代の古戦場なのです。
江戸川土手を矢切の渡しに向かう階段に下りる前に、土手の100メートル程上流にある一風変わった石碑を訪ねます。1996年環境庁が「全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来残していきたいと願っている音の聞こえる風景」を公募し、「柴又帝釈天界隈と矢切の渡し」がこの音百選に選ばれたとのことです。
さて、矢切側の渡し船の乗船場は、よしず張りの店が清涼飲料水を売っているだけで何の素っ気もありませんが、その素朴さが、却って心地よい気がします。午後4時が最終便なので、乗り遅れたら、1キロ程北側にある新葛飾橋を回って柴又まで行かなければなりません。
5分程で柴又側乗船場に到着します。柴又側は、河川敷野球場も多く、矢切り側とは打って変わって賑やかです。
矢切りの渡しは、伊藤左千夫の野菊の墓で有名になりましたが、最近では細川たかしの名曲「矢切の渡し」でも有名になりました。
次回は、いよいよフーテンの寅さんを訪ねて、寅さん記念館を訪ねます。