矢切りの渡しから江戸川の土手を下りて、やや南下すると山本亭があります。

 大正末期から昭和初期に増改築された2世帯住宅で、伝統的な和風建築と洋風建築が複合された建物です。池泉・築山・滝を設けた庭園も高い評価を受けています。

   山本亭①   山本亭② (2)   山本亭庭   

山本亭のすぐ南側に寅さん記念館があります。

館内には「くるまや」「朝日印刷所」のセットをはじめ、実物資料や、模型、映像で、「男はつらいよ」と寅さんの世界を味わうことができます。

   寅さん②   寅さん⑤   寅さん③  寅さん⑪

 その中に「寅さん埴輪」の写真と「柴又八幡神社古墳研究史」の文献写真が展示されています。「柴又にも「古墳」「埴輪」があったんだって!」と胸が高まりますが、この辺の探求は次回に回してもらいます。 

 さて、いよいよ柴又帝釈天に向かいます。寛永6年(1629年)創建の日蓮宗のお寺で、経栄山題経寺が正式名称です。柴又帝釈天の通称から帝釈天が本尊と思われがちですが、帝釈堂の隣の祖師堂に安置されている大曼荼羅が本尊です。

 正面には立派な二天門が聳えています。明治29年(1896年)建立の入母屋造瓦葺の2階建て楼門です。

   帝釈天山門 (2)

 二天門の左側に、寅さんシリーズで寺男源公が鐘を鳴らす風景が印象的な鐘楼が建っています。

   帝釈天鐘楼

 二天門を入ると、正面に帝釈堂が威風堂々たる佇まいを見せてくれます。

   帝釈堂   帝釈堂③

 手前の拝殿(昭和4年(1929年)完成)と奥の内殿(大正4年(1915年完成)からなり、ともに入母屋造瓦葺で、拝殿の屋根には唐破風と大振りの千鳥破風が施されています。破風とは入母屋屋根の妻側(建物の側面の幅が狭い側)部分を広く示すものとされ、写真正面の屋根の上に置かれた大きな三角形の屋根が千鳥破風、その下の曲線を描く屋根を唐破風と言います。これら破風が、建物を威風堂々と見せる重要な道具立てになっています。

 実は、この帝釈堂、一切彩色は施されていませんが、その内殿の東・北・南の三面に浮彫の装飾彫刻が施されています。この彫刻が中々の見ものなのです。

ただ、その製作年代は比較的新しく、大正11年(1922年)から昭和9年(1922年)にかけて、加藤寅之助ら10名の彫刻師が法華経に説かれる代表的な説話10話を選んで彫り出したものです。

 取り敢えず三つ程紹介させていただきます。

 一つ目は「病即消滅図」です。法華経により不老不死の境地を得ることができることを示しています。

   病即滅図①   病即消滅図②

 二つ目は「法師修行図」で、修行者を励ますために仏や象に乗った普賢菩薩が立ち現われています。

   法師修行図①   法師修行図②

 三つ目は「慈雨等潤の図」で、仏の教えは風神・雷神が雨を降らせて大地を潤す如く、遍く行き渡ると説いています。

   慈雨等潤図①   慈雨等潤図②

 彫刻に見惚れた後は、邃溪園(ずいけいえん)で憩うことにします。池泉式庭園で立ち入り禁止なのですが、廻廊をぐるりと回って緑を愛でることができます。

   遂溪園①   遂溪園②   遂溪園④

 暫し寅さんの心の拠り所を味わって、境内に戻ると法要を済ませた一団が若いご住職を囲んで記念写真を撮っていました。

   住職

 御住職と言えば御前様。勝手な思い入れで恐縮ですが、ご住職は実直で朴訥な老和尚の方が座りがいいですね。次回は寅さん埴輪が出土した柴又八幡神社を訪ねます。