最後に訪れたのが、江戸川区江戸川の明福寺。天川山寂光院と号する浄土宗のお寺です。都営新宿線瑞江駅から鎌田川親水緑道を通って、15分程歩きます。

   明福寺付近   明福寺本堂

 親鸞は、嘉禄二年(1226年)、常陸国笠間からこの地に立ち寄って旅の疲れを池の畔で癒していたとき、老翁に雨乞いの祈祷を頼まれました。親鸞の祈祷のお陰で雷が轟き、雨雲が天を覆い、大雨を降らせることができましたが、いつの間にか老翁の姿は消え失せていました。

   明福寺袈裟掛け松   明福寺鏡池

 鏡池がこの時の池、傍らの松が親鸞の袈裟懸けの松です。

老翁は、同地で一夜を過ごした親鸞の夢の中に現れ、この地に止まり布教を行うように告げました。目を覚ました親鸞は、林の中に毘沙門天を安置するお堂を見つけ、老翁が毘沙門天の化身であることを知り、池の畔に草庵を結んだ。

以上が、このお寺の創建にまつわる由来です。

 その後、戦火によって荒廃し、文明年間(1469~87年)、浄土宗のお寺として再興されることになりました。

   明福寺親鸞堂

 本堂右手の親鸞堂には、親鸞作と伝わる親鸞像が安置されています。

   明徳寺太子堂   明福寺太子像

 その隣には、聖徳太子自作と伝えられる木造聖徳太子像を祀る太子堂があります。

 それにしても親鸞作の親鸞像や聖徳太子作の聖徳太子像は、あちこちにあるものです。

 さて、親鸞ゆかりのお寺を四ヶ寺見てきましたが、いずれのお寺も浄土真宗のお寺ではありません。そのこと自体はそれほど珍しいことではないのかもしれませんが、別の宗派のお寺になりながら、親鸞の忌日に行う法要がこれらのお寺では近年まで行われていた、と聞くとにわかには信じられません。

四つ木西光寺では安永4年(1775年)以来毎年4月8日、9日、10日に、宝町の西光寺では戦前まで、光増寺では江戸時代まで、明福寺では最近まで毎年5月8日に、それぞれ親鸞にちなんだ報恩講式の法要が行われていました。

宝町の西光寺のご住職が、昭和10年頃の法要の様子を次のように述懐されています。

「報恩講の当日になると、どこから来るのか、大勢の参詣人がやってきて,庫裡やお堂が一杯になった。境内や門前の道路に屋台が出て、飴・おでん・だんごなどを売った。境内には見世物も出た。どんな説教をやったかは覚えていないがおそらく節談説教だったであろう。浪曲師のようなつぶれた声で抑揚をつけながら身振り手振りを交えて語った。聴衆はお堂の座敷一杯に溢れていた。参詣客は墨田・浅草方面から来る浄土真宗の信者さんだったと聞いています。」

 キリスト教やイスラム教の世界ではおよそありえない宗教的風景でしょう。八百万の神が満ち満ちていた日本の宗教風土のなせる業というべきでしょうか。