二番目に訪れた聖天様は、浅草寺の子院待乳山聖天本龍院です。推古3年(595年)創建と伝わります。
小高い小さな丘がそのまま聖天様です。山門を入ると左手で大根を売っています。
その右手には二股大根が描かれた雪洞があります。
本堂を見上げると、あちこちに二股大根が彫られています。
二股大根は、待乳山聖天のシンボルマークで、パンフレットには「大根は深い迷いの心、瞋(いかり)の毒を表し、大根をお供えすることによって聖天様が心の毒を清めてくださいます。・・・夫婦仲よく末永く一家の和合をご加護いただけます。」とあります。
でも毒を清めてくださる大根が、どうして夫婦仲よくと繋がるのかよく分かりません。前回、聖天様は一般的には男女の双身像が有名で、二股の大根は性器を表現するとお話ししたことを覚えている方は、すんなりお分かりいただけると思います。もともと二股大根はとても色っぽい聖天様の象徴なのです。しかし、そのようなことをあからさまにしては、有難味が薄れてしまうと考えた謹厳実直な方の手になると、先のパンフレットのごとき紹介になってしまったのでしょうか。
それは兎に角、江戸時代から待乳山聖天は江戸名所でした。ここから隅田川を眺めた景色は絶景といわれ、数多くの浮世絵にも描かれました。ここで取り上げた浮世絵は、隅田川の対岸の三囲神社側から眺めたものです。
山といっても、ちょっとした丘に過ぎません。
それでも待乳山と称している矜持のなせる業なのでしょうか、東側の丘を登る可愛らしいモノレールが設置されているので、全行程数十秒程度の乗車を楽しんできました。
今ではスカイツ降りて西側に回り込むと、待乳山聖天公園があり、その一角に池波正太郎生誕の地と書かれた石碑が置かれています。
昭和37年(1962年)の住居表示変更以前、この界隈は聖天町と呼ばれ気風の良い江戸っ子の住む町で、池波正太郎は、その一典型でした。