最後に訪れた聖天様は、熊谷市妻沼の高野山真言宗の歓喜院です。一般には妻沼聖天山と称され、治承3年(1179年)、長井庄(妻沼)を本拠とした武将斎藤別当実盛が守り本尊の大聖歓喜天を祀る聖天宮を建立したことに始まります。
実盛は、平家物語、源平盛衰記、謡曲実盛、歌舞伎実盛物語などで、武勇に優れ、義理人情に篤い人柄が称えられている人物です。
境内の入り口には、重要文化財の貴惣門が堂々たる姿を見せています。妻側(横側)の奇抜な意匠の破風で有名です。
貴惣門を潜ると、次に四脚門(中門)が待っています。
地味な佇まいですが、400年前の姿を残している一番古い建造物です。
四脚門を潜ると、正面に国宝の聖天堂(本殿)が見えてきます。
聖天堂は、寛文10年(1670年)、妻沼の大火で焼失し、現存する聖天堂は、享保から宝暦年間(18世紀半ば)に、当時の庶民・農民が44年にわたって浄財を拠出し続けて再建したものでした。当時の大掛かりな建造物は何らかの形で時の権力者の財力に頼って建てられていたことを考えると、これは稀有なことでした。
聖天堂は、入母屋造りの拝殿・両下造の中殿・入母屋造りの奥殿からなる廓型式権現造の建物で、日光東照宮などと同じ造りをしています。
正面に見える拝殿は、一見変哲のない建物です。
しかし、奥に回ってみると壁一面に豪華絢爛たる装飾を纏った奥殿が目に飛び込んできます。
突然視界に現れた極彩色の見事な壁には、言葉もありません。これだけ素晴らしいものが、関東の一地方都市にひっそりと残されていたことに感動を覚えます。しばし見とれた後、壁面に顔を近づけてみました。
左甚五郎作と伝えられており、激流に落ちかかっている猿とそれを助けようとする鷲が描かれている彫刻は、煩悩にさいなまれている人間を聖天様が救おうとしている姿を現しているとのことです。
寿老人が鶴に餌をやり、傍らでは子どもが亀と遊び、鶴が空を舞う・・・と庶民の願った平和な世界が描かれています。
この華やかな彫刻に彩られた壁面は、2003年から2011年まで8年の年月をかけて、総工費13億5千万円の大規模修繕を行って、往時の姿を甦えらせたものです。彫刻及び漆の技術の高さにおいて江戸後期装飾建築の代表例であること、庶民の浄財で造られたことが評価されて、2012年、聖天堂は国宝に指定されました。