大島小松川公園から旧中川の東岸を北上します。15~20分程で、逆井橋に至ります。何の変哲もない橋ですが、この場所にかって「逆井の渡し」がありました。
名所江戸百景に、葦が茂り、鷺が舞う長閑な風景が描かれています。今でも旧中川では一叢の葦が茂り、鷺が餌を狙う風景を見ることができますが、あの長閑さまで求めることはできません。
この逆井の渡しは、元佐倉道(旧千葉街道)を結んでいた渡しでした。佐倉道は、亀戸浅間神社、亀戸天神、常光寺(六阿弥陀)、浅草といった江戸時代の名所を結ぶ古道で、亀戸あさくさ古道ともいわれて賑わっていました。
そのため、この渡しが、名所江戸百景にも取り上げられたものと思われます。
この古道、竪川に沿って走っていた筈ですが、肝心の竪川が見当たりません。
竪川はどこに?とよく見ると暗渠が見えます。高速道路に覆い被されただけでなく、暗渠化されてしまったのです。その上、竪川は読みにくいからと、地名も墨田区竪川から立川に変更されてしまっています。江戸の大動脈であった竪川の無残な姿は、哀れを誘います。
そんな思いにふけっていると、暗渠のとば口に白鷺が舞い降りました。
およそ潤いのない景色に迷い込んだ白鷺。何となく心癒された気分になって、「ふれあい橋」に向けて西岸を15分程歩きました。
「ふれあい橋」は、それほど特徴のある橋ではありませんが、この橋で1998年以来毎年8月15日に精霊流しが行われるようになって18年経ちました。小松川・平井地区は、1945年3月10日の東京大空襲で40,000人が罹災し、旧中川で3,000人の人がお亡くなりになったと言われています。精霊流しは、その方々の慰霊と恒久平和の願いを込めて行われるようになりました。
今年の8月15日、初めて精霊流しを見に行ってきました。写真技術が未熟なため良い写真が取れませんでしたが、お許しください。
一時小雨がぱらつくような時もありましたが、無事終えることができました。
灯篭にはどんなことが書いてあるのかな?と目を凝らしてみると「成績が良くなりますように」等と戦争の記憶と無関係なものも多く、戦後71年の歳月を感じさせられました。
それにしてもこの精霊流し、とても不思議な精霊流しです。「ふれあい橋」の下流側に灯篭の流し場があったので、その下流へ流れていくものだと思っていましたが、あらあら灯篭は自然の摂理に逆らって上流に向かって流れていくのです。ムムム・・・一体どうなっているのでしょうか?
ふれあい橋を過ぎると、西岸に隣り合って亀戸中央公園がありますので、一休みしていきましょう。元日立製作所の工場の跡地で、江東区の区花「山茶花」で有名な公園です。
ここでは、10月から3月にかけて13種類以上植えられている「さざんか」の内、どれかの花が咲くように設計されています。来る10月15日の墨田中小企業家同友会の下町探訪「旧中川遡行の小さな旅」の頃には、「山茶花(原種)」、「御見衣(おみころも)」の白い花が見られる筈です。
亀戸中央公園の北端に江東新橋があります。次回は、この橋を渡って東岸を遡行します。