江東新橋を越えて、東岸を歩いて上流を目指します。反対岸に北十間川との合流地点が見えてきます。

かって、この辺りはとりわけ地盤沈下が激しかった地域でした。

既に述べた通り、1971年(昭和46年)から1993年(平成5年)にかけての江東内部河川整備事業によって、旧中川をはじめとする江東内部河川の水位を周辺地盤より低く保つ水位低下対策が取られるようになりました。

その結果、それまで1955年(昭和30年)から1966年(昭和41年)にかけて4回もかさ上げされていた護岸が不要となってしまいました。

現在では不要となったかさ上げ護岸の一部が、かさ上げ護岸の歴史を後世に伝えるため残されています。

   かさ上げ護岸   かかさ上げの歴史

水位低下対策を取られるまでの旧中川は、現在の川幅の倍はあるだろうと思われる、工場地帯のただ中を流れるくすんだ大河でした。

   き旧中川旧写真

しかし、先ほどの河川整備事業では、安全で潤いの明日親水空間を創出するとして、カワセミの生息する川つくりを目指して、ワンド(生物に安定した住み家を与えるための人口構造物)まで設けられ、緑豊かな河川に生まれ変わっています。

   カワセミサンクチュアリ②   カワセミ説明版

今では、旧中川から北十間川に入りスカイツリーの下まで、遊覧ボートが往復しています。

   河口部遊覧船

ワンドから東岸をそのまま7~8分歩くと、平井橋に出ます。ここはかって平井の渡しの置かれたところで、行徳道の渡船場でした。

   き旧道徳道②   ひ平井の渡し跡

行徳道は、江戸と行徳を結ぶ道で、平井の渡しから東南に下り、今井の渡しで江戸川を渡って行徳へ繋がっていました。

元々行徳道に置かれていた「下平井の観世音菩薩淺草道石造道標」が、行徳道より川上側へ数10メートル遡った側の道路に残されています。

   き旧道徳道道標

平井橋を渡って西岸を遡行すると、数分で大正民家園に着きます。

この建物は1917年(大正6年)建築の平屋建寄棟造瓦葺の住宅で、小山家のものでしたが、1998年(平成10年)墨田区に寄付されました。

土間のある典型的な農家の構造形式と出格子窓や堅格子戸など町屋の伝統に客間を充実させた構造を併せ持ち、近代以降に普及した都市型近郊住宅の特色をよく留めていると言われています。

   た立花大正民家園   た立花民家玄関

それほど広いとも言えない庭では、七福神が私たち見学者に微笑んでくれています。残念ながら、全員のご紹介はしかねます。

   た立花恵比寿・大黒   た立花布袋      

 

 

次回は、木下川排水機場をへて荒川土手を目指します。