遍照院を南下し、言問橋を隅田川の東岸に戻り、その北側に歩くと三囲神社があります。
<三囲神社>
文和年間(1352~6年)、近江三井寺の僧源恵が東国遍歴の際、この地に弘法大師ゆかりの朽ちた社があるのを見て、これを改築しようとしたところ、土の中から白狐に跨る老翁の像を発見した。
その時、白狐が現れて、その像の周りを三回回った。
これが三囲(みめぐり)の名の由来と言われており、江戸時代から有名な神社で、浮世絵にも描かれています。
<北斎による三囲神社と牛嶋神社の浮世絵>
寛政11年(1799年)2月17日、北斎はこの神社のご開帳(本尊を特別に公開すること)に際し、提灯や絵額に様々な絵を描いて評判を呼んだとされ、このときの様子を伝える記録によれば、「十二カ月を題材に描かれた絵絹を貼った提灯が12個と、蚊帳の中で雷におびえる数人の美女を描いた絵額が飾られた。」と言われています。
残念ながら、このときの提灯も絵額も残されていません。
三囲神社から南に300メートル程行くと、旧水戸徳川家下屋敷跡に作られた隅田公園に至ります。
この一角に牛島神社があります。
この神社、元々はもっと北側の向島須崎町にありましたので、北斎の浮世絵でも三囲神社と一緒に描かれていたのです。
関東大震災後、現在地で再建されました。
<牛島神社>
北斎は、弘化2年(1845年)、86才と記された大絵額「須佐之男命厄神退治之図」を奉納しました。
全体に銀箔が張られた豪華な作品でしたが、関東大震災の際消失してしまいました。
しかし、幸い明治期に撮影された写真が残されていました。
近年、この写真から最新のデジタル技術を駆使して、撮影当時の彩色された絵馬が見事に復元され、すみだ北斎美術館で一般公開されています。
<須佐之男命厄神退治之図>
牛島神社からスカイツリーの足元を流れる北十間川に沿って東に1,500メートル程歩くと法性寺、通称柳島妙見があります。
<柳島妙見>
<広重浮世絵柳島妙見>
お寺の正面に北斎の画業を意識した顕彰碑が置かれています。
<北斎顕彰碑>
市川市にある日蓮宗真間山弘法寺の末寺で、ご本尊は「開運北辰妙見大菩薩」です。北斗七星(北辰)の化身であって開運の菩薩と言われており、北斎辰政という北斎の号は、これにちなんでいます。
北斎が勝川派から破門され、勝川春朗の名前が使えなくなって困窮していた頃のことです。
妙見様に21日間お参りし、満願成就の日の帰り道に落雷に遭って失神しましたが、その後メキメキ売れ出し有名になりました。
これは妙見様のご加護があったればこそと、北斎は生涯妙見様を信仰することになったそうです。
妙見様は、現在はコンクリートのモダンな建物内に鎮座されているのですが、そのご様子は、窓越しでは残念ながらうかがい知れません。
<妙見堂>
<妙見堂内部>
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