芭蕉は、1680年(延宝8年)冬に深川の芭蕉庵に移り住みました。
芭蕉の住んでいた裏店近辺の日本橋三越から芭蕉庵までは、日本橋人形町、新大橋通りを経由して新大橋で隅田川を渡ります。
<新大橋>
新大橋というと新しい橋のように思われますが、隅田川では千住大橋、両国橋に次いで3番目に造られた古い橋です。
芭蕉は1692年(元禄5年)と1693年(元禄6年)の二度にわたってこの橋を詠んでいます。
「初雪やかけかかりたる橋の上」(其便)
「有難やいただいて踏む橋の霜」(芭蕉句選)
ここから新大橋は1693年(元禄6年)冬に竣工したことがわかります。
当時の新大橋は、今の新大橋よりだいぶ下流に架けられていたようで、萬年橋の北側に旧新大橋の石碑が残されています。
<旧新大橋の石碑>
新大橋を渡ると、しばし川風に吹かれながら川べりを南下します。東京湾が近いためでしょう、潮の香りが胸一杯に広がります。道々芭蕉の句碑が目につきます。
<隅田川べり> <隅田川べりの句碑>
途中高い防潮堤を乗り越えて萬年橋通りをやや北に戻ると江東区立芭蕉記念館があります。
<芭蕉記念館>
さて肝心な芭蕉庵です。
<江戸名所図会より>
当初「泊船堂」と称し、そこでの新たな生活をその「寒夜辞」で次のように詠じていました。
「深川三またの辺りに草庵を侘びて、遠くは士峰の雪をのぞみ、ちかくは万里の船を浮かぶ。あさぼらけ漕行船のしら波に、蘆の枯葉の夢とふく風もやや暮過るほど、月に座しては空き樽をかこち、枕によりては薄きふすまを愁う。
櫓の声波を打って腸氷る夜や涙」
芭蕉は、侘しい生活を強調していますが、遠くには富士山を望み、萬年橋の欄干越しに隅田川が見え、そこには白い帆掛け船が浮いています。人家も少ない寂しいところであったかもしれませんが、芭蕉庵周辺は、風光明媚な景勝地でもあったのです。
<広重萬年橋> <北斎萬年橋>
続く