江戸庶民の一泊二日の手頃な旅行の代表が成田詣でした。日本橋小網町を船出した行徳船は、小名木川から中川口を経て新川に出て、新川口を経て行徳の新河岸までを行き来していました。
そこから成田街道を徒歩や駕籠で成田山新勝寺へ向かうというのが成田詣でのお決まりのコースでした。
江戸所代の新河岸は、最盛期には一日62隻もの行徳船が到着する賑やかな船着場であったようで、江戸名所図会の「行徳の船場」からもその賑わい振りが見てとれます。
「行徳船場」の左下に「常夜灯」が描かれていますが、それは現在旧江戸川の高い護岸上に設置されております。
この護岸からの旧江戸川の眺めはコンクリートの高い護岸ばかり目につき、かっての長閑な雰囲気は殆ど感じられません。
地盤沈下の結果このようにならざるを得なかったようですが、著しく興趣を削がれていることは間違いありません。
「行徳の船場」右上に「名物ささやうどん」店が描かれています。有名なうどん屋だったようで、現在もその建物が残されています。
残念ながら現在は一般民家になっていて営業はされておりません。
とはいえ、この笹屋の一角には結構旧家が残っていて、訪ねる人の目を楽しませてくれます。是非足を伸ばしてください。