寛永9年(1632年)本行徳村は幕府の許可をもらって江戸―行徳間の小荷物運搬と旅客輸送を独占するようになり、行徳船の運航が始まりました。水行三里八町(12・6キロ)の航路で、多い日には62隻もの船が出ていたことは既に見てきた通りです。
行徳河岸は、元々は行徳塩を陸揚げするところでしたが、やがて野菜や魚なども陸揚げされる賑やかな場所になっていきました。明治時代に入ってもここから利根川を経由して銚子、茨城県の鉾田などまで通う蒸気船が、旅客と荷物を運び、賑わいを見せていました。井上安治の蠣殻町川岸の図からその雰囲気を味わってください。
<写真1>
しかし鉄道の発達とともに、舟運は衰退の一途をたどり、今では当時の賑わいの跡形もありません。行徳河岸は埋め立てられて高速道路脇の道路となってしまっています。
<写真2>
日本橋川を下って豊海橋に出ると、その先は隅田川です。豊海橋は1927年(昭和2年)に震災復興橋として造られ、梯子を横にしたようなフィレンデール橋と呼ばれる独特の外観を持つ珍しい橋です。南側に見える永代橋とマッチするように造られたそうで、シンプルなデザインの中に鋲止形式という古い形態を残した名橋と言われています。
<写真3>
豊海橋から隅田川の下流を見ると、1926年(大正15年)に架けられた国の重要文化財の永代橋とその奥の佃島の高層ビル群が織りなす超現代の隅田川風景が広がります。永代橋は、震災復興橋しかもその第1号として架けられた橋で、ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルにした現存最古のタイドアーチ橋と言われています。
<写真4>
<写真5>
豊海橋から隅田川上流に向けては、遊歩道が設けられています。遊歩道を歩き始めると、すぐ目の前に清洲橋が迫ってきます。清洲橋もやはり震災復興橋として1928年(昭和3年)に架けられた橋で、世界で最も美しいと言われたドイツのケルンの大吊り橋をモデルにしたものです。
<写真6>
隅田川に出た行徳船は、この橋100メートル程上流から小名木川に入ります。この入口に芭蕉庵史跡展望庭園がありますが、ここからあるいは次に述べる萬年橋からの清洲橋の眺めは、その美しさから「ケルンの眺め」と呼ばれています。
<写真7>
今回は橋めぐりになってしまいました。次回は小名木川を東行し、中川口まで見ていきたいと思います。ご期待ください。