現在、隅田川の両河岸は遊歩道として整備されています。洪水対策のため高い護岸に囲まれているのは些か艶消しで残念ですが、やむを得ないのかもしれません。
厩橋の500メートル程上流に青色に塗られた駒形橋があります。西岸の駒形堂にちなんで名付けられ、現在の橋は1927年(昭和2年)6月に竣工しました。34704b5ace01cebe6bb18cdf6a81e668

駒形橋の300メートル程上流に真っ赤に塗られた吾妻橋があります。現在の橋は1931年(昭和6年)6月に竣工しました。21272f4026a6a1dab8fff65745fbf7c0

この橋の袂に建つ墨田区役所の一角に勝海舟の銅像が勇壮な姿で建っています。「我らの江戸っ子勝っあん」に共感を覚える方々からすると、もっと親しみやすい姿にしてほしかったという声もあるかもしれませんが、2003年(平成15年)7月に海舟生誕180周年を記念して建てられました。B65a8e427939a384573bc64697d45c6d

さて海舟の銅像から北へ400メートル位行ったところに牛島神社があります。ここには1825年(文政8年)建立の撫で牛が鎮座しており、自分の心身の患部と同じ場所を撫でると治るということで、今でも信仰を集めています。
42e96197473314dc3c7f625f7c3caed3

4da64a4aad9dac8f350b5f42741db9f1

この神社は海舟の時代は牛御前王子権現社と言われて、言問橋の北側にありました。9238686d2943b2ad74dd4d139400700e

海舟は、直心影流島田派の始祖島田虎之助に剣術を習い、「寒中になると、島田の指図に従うて、毎日稽古がすむと・・・王子権現にいって夜稽古をした。いつもまず拝殿の礎石に腰をかけて、瞑目沈思、心胆を練磨し、しかる後、立って木刀を振り回し、更にまた元の礎石に腰を掛けて・・・こういう風に夜明けまで五~六回もやって、それから帰って朝稽古をやり」(氷川清話)と剣術に打ち込みました。その成果を「修行の効は瓦解の前後に顕れて、あんな艱難辛苦に堪え得て、少しもひるまなかった」(氷川清話)と自負しています。江戸を戦火から救った西郷とのトップ会談に挑んだ胆力は、この頃の鍛錬の賜物と言うわけです。本当にこんなにスーパーマンだったのかしら?とも思いますが、それはともかく若い頃の鍛錬が大切ということですね。