下町の古民家を訪ねてシリーズ第三回は、江東区の旧大石家住宅を訪ねました。その建物は地下鉄東西線南砂町駅の北側へ徒歩10分程の仙台堀公園内にあります。元々江東区東砂8-21に建てられていた建物でしたが、1996年(平成8年)ここに移築された、江東区内で一番古い民家です。屋根裏から発見された150枚以上の祈祷札などから今から160年ほど前に建てられたと見られています。
安政の大地震、大正の大津波、関東大震災、東京大空襲といったいくつもの災害を免れ、建築当初の姿をとどめている貴重な建物です。木造平屋寄棟造の土間に床張り二間、畳敷き二間があり、床面積は24.03坪となっています。
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江戸時代二階建ての建物の建築は禁止されていました。しかし、この地域は江戸時代よりいわゆる江東ゼロメートル地帯で、しばしば水害に悩まされたところでした。そのため大石家では、浸水時に避難生活を送れるように、屋根裏が広く頑丈に作られていました。庶民の知恵が目一杯発揮された好例でしょう。
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屋根裏へ登るための梯子も常備されていました。
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大石家周辺の家々の多くは、砂村ねぎ等の畑作を中心とした農業と海苔の養殖を行う半農半漁の生活をしていました。上の写真中、梯子の前に写っている道具が海苔作りに使う道具類です。
この当時の海苔とりの様子を描いた浮世絵が残っています。今この地域では到底見ることができない長閑な雰囲気を味わってみてください。
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東京の海苔は浅草海苔と言われることがありますが、浅草で海苔がとれたのは元禄(1688年)頃までで、実際にとれていたのは砂町も含めた深川や品川でした。そこら辺の事情は、元禄5年の次の狂歌からうかがわれます。

「武蔵なる浅草のりは名のみなり おこころざしの深川のもの」

残念ながらこの地域での海苔とりの風景は、埋め立てと工業化が進んだ1960年代には殆ど見られなくなってしまいました。