多門寺から墨堤通りを南下して30分程、白髭橋の南側に白髭神社があります。平安期天暦5年(951年)に慈恵大師が関東に下ったおり、滋賀県白髭大明神の分霊を勧請して祀ったのが起源とされています。
白髭神社の社殿は、元冶元年(1864年)に造営された墨田区内でも貴重な建造物でしたが、平成2年(1990年)放火によって焼失し、平成4年(1992年)再建されました。
祭神は猿田彦命で、開拓を司る国土の神、道案内の守り神とされ、隅田川沿いの道祖神の役割も果たしたと言われています。猿田彦命は、天孫降臨の際、道案内にたったという神話から、後世お客様を案内する神という信仰が生まれ、千客万来、商売繁盛等の信仰を集めるようになりました。
また猿田彦命は、渡来人の神様でもありました。隅田川の上流入間川流域に大陸の帰化人達が多く入植し、武蔵野の開拓に当たったと言われており、猿田彦命に対する信仰も隅田川流域まで伝播していったと考えられています。
さて本題の寿老人のことです。既に述べた通り、白髭神社には残念ながら七福神としての尊像はありません。
ところで墨田区には白髭神社が2社あることをご存知でしょうか。この白髭神社は東向島に鎮座ましますが、もう1社立花に鎮座まします白髭神社がございます。区内に2つも同名の神社があっては紛らわしい気がいたしますが、全国に白髭神社は100社以上あり、お隣の葛飾区にもあるそうですから、気にするほどのことでもないのでしょう。こちらの白髭神社も結構歴史のある神社で、天和2年(1682年)起立とされています。参道の鳥居は安永8年(1779年)に作られた墨田区内でも由緒あるものと言われています。一度目にしたことはありますが、確かに歴史を感じさせる鳥居です。別の機会に取り上げてみたいと思っております。
余談ですが、墨堤通りと明治通りの交差点近くに、おいしいステーキで有名な「レストランカタヤマ」があります。駄敏亭茫洋嘆と自称するカタヤマの会長は旧知の頑固おやじで、先の大雪の日、久しぶりに旧交を温めてきました。ステーキに目のない方は一度訪ねてみてください。(http://dabintyo.jp)