向島百花園から水戸街道に出て、南下すること15分程で長命寺に到着します。長命寺は元和元年(1615年)頃の 創建と伝えられ、元は常泉院と号していました。寛永年間(1624~1644年)三代将軍家光が鷹狩に訪れた際に体 調を崩して同寺に休息し、境内の井戸水を汲んで薬を服用したところ、たちどころに痛みが消えて快癒したため、家光が その井戸を長命水と命名し、寺号を長命寺と改めたと言われています。
このような長命寺の由来を記しているのが「長命水石碑」です。
長命寺は、境内に名碑が多いことでも有名です。その中から二つだけ紹介します。
江戸時代長命寺は雪見の名所として知られ、多くの人が雪見に訪れました。
そこで芭蕉の雪見の句碑を一つ。
「いざさらば雪見にころぶ所まで」
但し、この句、名古屋の書店風月堂で吟じたと言われています。
もう一つは「五狂歌師辞世の句連碑」という面白い石碑。その中から十返舎一九の辞世を紹介します。
「此世をばどりやお暇にせんこうの 煙と共にはい左様なら」
長命寺と言えば「長命寺桜もち」に触れないわけにはいきません。
長命寺の門番であった山本新六が、享保3年(1717年)、墨堤の桜の葉を利用した桜餅を思いついて作り出したもの と言われています。桜もち屋山本屋は明治21年(1888年)頃、正岡子規が下宿していたことでも有名です。
さて肝心な弁財天です。
像高18センチ、琵琶湖竹生島の宝厳寺の像を勧請したもので、最澄の作と伝えられています。