長命寺の南隣が弘福寺です。京都宇治の黄檗宗萬福寺の末寺で、江戸期には関東黄檗四刹の一つとして知られました。延宝元年(1673年)小田原藩稲葉正則が開基し、鉄牛禅師を開山に迎えて現在地に移って堂宇を建てたと言われており、江戸名所図会でも紹介されています。
安政の大地震、関東大震災の2度の震災によって被災し、昭和8年(1933年)、現在の山門、鐘楼、方丈、客殿、庫裏とともに大雄宝殿が再建されました。
このように弘福寺は度重なる震災で創建当時を偲ばせるものは少なくなっておりますが、銅製の梵鐘は希少文化財となっております。銘文によれば、貞亨5年(1688年)に製作されたことが分かります。江戸期には3万に及ぶ梵鐘が製作されましたが、現在確認されているところでは、墨田区内の寺院が所有する梵鐘の中で最古のものと言われています。
さて、肝心な布袋様です。
向島百花園に集った文人達は、弘福寺には布袋和尚の木像があるとして、この和尚を七福神に加えました。
しかし、大雄宝殿に安置されている布袋様は座高40センチの銅造布袋尊坐像です。大倉喜八郎がインドから取り寄せたものを寺に寄進したものですので、
当初の布袋様ではありません。布袋様は唐代の実在の禅僧で、常に布の大きな袋を持ち歩き、困窮の人に遭えば惜しげもなく財物を施し、その中身は尽きるところがなかったと言われています。真の幸せとは欲望を満たすことではないことを身をもって示し、世人の尊敬を受けました。この坐像は些か金満家風気の雰囲気がしなくもありません。お寺の表看板ゆえ磨き挙げているだけのことなのかもしれませんが、布袋様は、内心「俺は金持ちとは正反対の生活をしてきたんだけどな」と困ったお顔をされているのではないでしょうか。