東京都慰霊堂は都立横網町公園内に設置されています。この公園内には石碑・銅像・鐘楼等様々の慰霊・追悼施設が設けられています。

その殆どは大震災関連のものです。

公園南側に設置されているのが、震災遭難児童5,000人を慰霊する「弔魂像」です。

遭難児童

その東側に「幽明鐘」と鐘楼があります。

慰霊堂鐘楼

これは、1925年(大正14年)、中華民国仏教徒から東京市に寄贈されたものです。

慰霊堂の北側には「朝鮮人犠牲者追悼碑」があります。

追悼碑には「・・・混乱の中あやまった策動と流言飛語のため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い命を奪われました。この事件の真実を識ることは不幸な歴史をくりかえさず、民族差別をなくし、人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます」と記されています。

  さて東京大空襲犠牲者のことも触れなければなりません。天災である大震災被災者と政府の行った戦争の犠牲者を一緒にするのはおかしいとの声もある中で、GHQの提案に従って戦争の犠牲者も合祀されたと言われています。

公園内の施設の内、戦争犠牲者関連の施設は「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」だけです。

東京空襲犠牲者追悼平和祈念碑②

 犠牲者の数は震災関係より遥かに多いにもかかわらず、その扱いがやや軽いのが気になりますが、この碑は見事なものです。斜面を覆う花は生命を象徴しており、碑の内部には「東京空襲犠牲者名簿」が納められています。

この碑が本当に平和を祈念するものになってほしいものです。

 復興記念館には、警視庁所属の写真家石川光陽が戦災の生々しい状況を写し取った写真が掲げられています。そのうち2枚を紹介いたします。

石川写真1

石川写真2

 当時一般人には戦災現場の撮影が禁じられていましたので、石川の写真は貴重な記録でした。そのため戦後進駐軍にネガフィルムの提出を求められましたが、石川は命懸けでその要求を断固拒否しました。石川の勇気のお蔭で、悲惨な戦争の惨状を後世に残すことが出来たのでした。