白髭神社は神社本庁の資料によると全国で292社もあり、総本社は滋賀県高島市の白鬚神社で、琵琶湖に浮かぶ大鳥居が印象的です。祭神は猿田彦命とされています。
東京都内には10社の社があり、多摩の山奥にある1社と境内末社になっている1社を除く8社は、全て下町にあり、墨田区に3社、江戸川区に3社、葛飾区に2社あります。
これから、この8社を巡っていきます。
トップバッターは白鬚橋の近くに鎮座されている東向島の白鬚神社で、8社の中で一番知られた白鬚神社です。白髭橋がこの神社に由来することは容易に見てとることが出来るでしょう。既に隅田川七福神めぐりで紹介済みですので、そこと被らないように進めていきます。
東向島の白鬚神社は、天暦5年(951年)、慈恵大師が関東下向時白鬚大明神の分霊を当地に祀ったと伝えられている由緒ある神社で、江戸名所図会にも描かれており、明治時代の貴重な写真も残されています。
鳥居、拝殿等は建て替えられておりますが、由緒を感じさせる落ち着いた佇まいです。
ここで取り上げた狛犬は、八百屋善四郎と松葉屋半左衛門が文化12年(1815年)に寄進したものです。八百屋善四郎は、江戸時代に懐石料理を確立したと言われる山谷堀の料亭八百善の亭主で、俳諧を好む風流人としても有名で、「江戸流行料理通」との著書もあります。
他方、松葉屋半左衛門は、代々の人気遊女瀬川花魁が所属していた吉原の妓楼松葉屋の楼主で、余に高い身請け(客が遊女の前借金等を支払って自分の妻や妾にすること)料を取ったことで悪評高い人物です。
こんな二人が一緒に狛犬を寄進していることにも興をそそられます。
ところで、B級歴史探偵の私としては、都内の白髭神社の殆どが下町にあるのは何故なのか不思議でなりません。埼玉県日高市にある渡来人高麗若光を祀っている高麗神社は、明治時代に名を改めるまで白髭神社と言われており、武蔵の国高麗郡に広く分布している白髭神社の総本社的地位にあるという事実があります。このような事実を踏まえて、荒川の下流域にある下町の8社の白鬚神社は、高麗神社の系列の神社ではないかとの仮説があります。一見魅力的な仮説なのですが、その真偽を判断する材料を余り持ち合わせていません。
偶々社務所に人影が見えましたので、失礼を顧みず、仮説の真偽についてご意見を伺うことにしました。立派なあご鬚を蓄えられたその方は、幸いにも白鬚神社の今井達宮司さんでした。この日、近所の向島百花園で納涼会があるため、その前に一寸と訪れたのでしたが、宮司のお話は、私にとっては大変勉強になるもので、時を忘れてしまいました。伺ったお話はとても残り少ない字数では伝えきれません。次回に回させて頂きます。ご期待ください。