今回は、葛飾区の2つの白髭神社を訪ねます。

まず四つ木白髭神社を訪ねました。当社は、承応3年(1654年)、四つ木村が立石村から分村したとき、四つ木村の鎮守として勧請されたと伝えられています。

水戸街道側から社殿を窺うことは出来るものの、入口の鳥居は些か分かりにくいところにあります。

  白髭四つ木鳥居

その割には境内は結構広く、鳥居をくぐって北側に曲がった方向に拝殿が建てられています。

   白髭四つ木拝殿

水戸街道と平和橋通りの交わった賑やかな地域で、静かな時間が流れている一角ということが出来ます。

  次いで、東四つ木白髭神社を訪ねました。この辺り、道がくねくねと曲がっていて地図を見ていても中々辿りつけません。やっとの思いで辿り着いたところは、苦労をしただけの甲斐がありました。森閑とした杜。嘉永5年(1853年)の造営と言われる木目にうっすらと塗料が残っている木造建築群。どこか、江戸時代の風情を感じさせてくれます。

   白髭東四つ木鳥居   白髭東四つ木拝殿

  この神社、創建年代は不詳ながら別当寺の観正寺が延徳3年(1491年)創建なので、室町時代の創建と考えられます。

  別名客人(まろうど)大権現といい、商家で客足の多くなることを祈願して祭ったと言われています。第7代将軍生母月光院や花柳界の崇敬が篤く、文化文政(1804~1829年)の頃が最盛期であったようです。

境内には入母屋造りの舞殿(まいどの)があります。

    白髭東四つ木舞殿

舞殿と言えば、鎌倉富岡八幡宮。静御前が義経を慕い心を込めて舞いを舞った伝承が思い出されます。もっとも、静御前が舞った場所は若宮廻廊であって、現在の舞殿はその跡地に建てられたもののようですが。

   鶴岡八幡舞殿

  さて東四つ木白髭神社の舞殿です。舞殿まで建てられている神社はざらにはありません。そんな舞殿が東四つ木の地にさりげなく建立されていることに感激をしました。

  この舞殿、今でもお神楽が行われているのでしょうか。残念ながら神社の由来記にもそれとおぼしき記載は見当たりません。ご存知の方がいらっしゃったら、ご教示下さい。