下町から電車に乗りついで、世田谷区太子堂の最勝寺、通称目青不動を目指します。正式名称は天台宗寛永寺の末寺、竹園山最勝寺教学院といい、緑に囲まれた地味な山門が、私たちを静かに境内へ導いてくれます。

    目青不動山門

 縁起によれば、応長元年(1311年)玄応和尚によって江戸城紅葉山付近に創建され、紆余曲折を得て明治42~44年(1909=1911年)現在地に移転したと言われていますが、玄応和尚によって慶長6年(1604年)に創建されたとの異説もあります。となると、玄応和尚が何時の時代を生きた人なのか?の解明が待たれます。

 そういえば平井の目黄不動の鎮座するお寺も天台宗最勝寺、何か両寺に繋がりがあるように思いたくなります。

 しかし、当寺に鎮座される目青不動は、明治15年(1882年)に廃寺となった観行寺(正善寺とも言われたようです)から遷座されたとのことです。

 残念ながら・・・といったところでしょうか。

 さて山門を潜って右手に、目青不動様の鎮座されている不動堂があります。

   目青不動不動堂

 肝心の目青不動は、私の未熟な写真技術ではぼやけていてよくわかりませんので、ネットから引っ張ってきたお不動様の写真も並べさせていただきます。

   目青不動尊   KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

 青銅製のお不動様は、寛永11年(1642年)の銘のある迫力のあるお姿で鎮座されているのですが、実はこのお不動様は前立てなのです。前立てとは、ご本尊の身代わりとして秘仏たるご本尊と同じお姿に造られているものを意味すると言われています。ですから、この前立てのお不動も秘仏とご一緒に当寺に遷座されているのです。

 このような次第で、残念ながら厨子に納められている秘仏は拝むことができませんでした。

 境内の正面に教学院があります。

   目青本堂

 ご本尊は、恵心僧都作の阿弥陀如来様です。聖徳太子作の聖観音像も鎮座されているとのことです。もし本当に聖徳太子作だとしたら、間違いなく国宝級だと思われますが、国宝リストには掲載されていないようです。

 この目青不動、天上界と地上界の間にたなびく青い空の色に基づくお不動様であることから、天と地の連絡をしてくれるとされ、そこから縁結びの不動尊として信仰を集めたと言われています。些かこじつけ気味ですが、庶民の素朴な願いから生まれた信仰のようですので、目くじらを立てるまでのことはないのかもしれません。